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クロード・モネは1840年にパリで生まれ、10代の頃から絵を学び、学生時代にはすでに似顔絵を売り小遣い稼ぎをしていたほどでした。
印象派の巨匠と呼ばれるモネは、86年の生涯の中でフランスの美術界に革命をもたらし、その作品は今なお世界中の人々に愛されています。
モネが生きた時代はフランス産業革命がほぼ完成し、物質的に豊かな時代に入った頃でした。
また1867年に日本がパリ万博へ初出展した結果、ヨーロッパでジャポニズムが流行し、浮世絵がフランス絵画界に大きな影響を与えた時代でもありました。
今回はモネの作品の中でも、特に有名な12点をご紹介します。



印象・日の出(1872年)

「印象・日の出」はモネが34歳の1874年に、第1回印象派展に出展した作品です。当時のフランスの美術界はアカデミーとサロン(官展)に牛耳られており、従来の伝統や格式からはみ出した作品を認めませんでした。フランス、特にパリは近代化を果たしながらも、絵画の主役は依然として聖書や神話の世界を主題にした歴史画(物語画)だったのです。モネの手法は今までの伝統的なものと異なり、自らが体験した「印象」を見る人に伝える事を重んじるという、それまでの美しさの基準を変えた革新的なものでした。「印象・日の出」は印象派の名前の由来となる、美術史上重要な意味を持つ作品です。

かささぎ(1868年-1869年)

モネは「光の画家」とも呼ばれています。一見すると白銀の世界ですが、白の中にも暖色を効果的に用いて、太陽光を反射した雪の色を表現しています。また、左中央の黒いかささぎ1羽が強いアクセントとなっています。白という「何もない」色彩と考えられてきた色のなかに、光に照らされた雪の影を青く描くなど、光の描写を意識していたモネが29歳の時の力強い作品です。当時、モネの革新的な光と色の使い方は、1869年のパリサロンによって否定されました。しかし今日、美術史家は「かささぎ」をモネの最高の冬景色の絵画の1つとして分類しています。

プールヴィルの断崖の上の散歩(1882年)

1880年代のモネの代表作。本作はフランスの避暑地プールヴィルの東北端にあるアモン崖の風景を描いたもので、画面には2番目の妻アリス・オシュテとその娘が崖に立つ姿が見えます。右奥の女性は赤い日傘をさしています。崖の地形を生かした構図は、岸壁の圧迫感・危機感と、海と空の解放感を絶妙に描いています。

散歩、日傘をさす女性と子供(1875年)

「散歩、日傘をさす女性と子供」は1875年第2回印象派展に出品した作品です。モネの最初の妻カミーユと、息子のジャンが草原を散歩する様子が描かれています。モネは下からの目線で描き、鑑賞する側と同じ視線で描かれているのでよりリアル感が伝わります。モネが34歳の作品です。

散歩、日傘をさす女性(1886年)

1870年にモネの最初の妻カミーユが亡くなった後、モネと再婚した2番目の妻アリスの娘シュザンヌがモデルと言われています。しかし、シュザンヌの表情がはっきりと描かれていません。モネが45歳の時の作品です。「散歩、日傘をさす女性」はもう1枚右向きの「日傘をさす女性」の3作品があります。モネはこの作品以降、人物を描くことは一切ありませんでした。



【コラム】

1871年~1878年(モネ31歳~38歳)のモネの活動拠点は、セーヌ河畔のアルジャントゥイユでした。セーヌ川の川幅は広く水深もあり、夏にはヨットレースが開催されるような人気の行楽地でした。印象派の画家たちの理想郷となったアルジャントゥイユから1878年にヴエトゥイユに移住するまでは、この地で作品を描いています。

アルジャントゥイユの秋(1873年)

フランスの秋の雰囲気が象徴的なアルジャントゥイユの町。空と地表を上下に構図を取り、秋の移り行く光や色彩、大気が見事に描写されています。

アルジャントゥイユの橋(1874年)

モネは1871年12月からアルジャントゥイユに滞在し、その美しい風景に魅了され、以後精力的に活動しています。本作はその中でも色彩分割による印象主義的表現の完成度が非常に高い作品としても知られています。川面への橋、対岸のカフェや木々、ボート、空等の反映を筆触分割(絵具を混ぜない使い方)の技法を駆使し、見事なまでに瑞々しく表現されています。

アルジャントゥイユの赤いボート(1875年)

アルジャントゥイユのセーヌ川に浮かぶ赤いボート。夏には多くのパリジャンやパリジェンヌたちで賑わった場所でもありました。空の明るい青とボートの赤が強いコントラストで描かれ、画面が締まって感じられます。

ポプラ、アルジャントゥイユの野原(1875年)

第一回印象派展の翌年の作品。当時は絵画界では評価されなかった、モネの印象派としての代表的な作品として知られています。上空を流れる雲と降り注ぐ光、野原をそよぐ風とゆっくりと流れる静かな時間。アトリエで描くのではなく、自然の中にいる自分の目の前を通る風や光をカンヴァスに描きたい、そんなモネの気持ちが表れた作品です。



【コラム】

50歳にして生活が安定したモネは、セーヌ川とエプト川の合流地点にある小さな村ジヴルニ-にあった果樹に囲まれた家をたちまち気に入り、ここへ移り住むことにしました。日本風の橋が架かる庭園を造り、86歳で亡くなるまでその庭を描き続け、特に睡蓮の池は約200点もの作品を残しています。

ジヴェルニーの日本風の橋(1899年)

1890年モネは好みに合わない果樹園の樹木を伐採し、好みの花々を植えた百花繚乱の広い家を作りました。その庭は、日本から送られた桜・紅葉・リンゴや、浮世絵からインスピレーションを受け、日本庭園を意識して作られました。太鼓橋や柳の木、そして水面に咲く睡蓮。この頃のモネは庭造りと庭を描くことに夢中でした。数多く描かれたモネの睡蓮ですが、この作品は特に力強く描かれており、60歳を目前に精神の充実が感じられます。

睡蓮(1905年)

この時期の作品からは日本風の橋は姿を消し、水面とそこに映る虚像の樹木や空の反映、実像である睡蓮などが複雑に交錯した作品となっています。

睡蓮(1908年)

この時期の睡蓮は画面全体から水平線が無くなり、水面のみをとらえるようになります。始まりも終わりもない世界の構築に成功したモネは、繊細でありながら力強い筆致で、睡蓮の池を描き続けました。68歳の時に描いたこの作品においても、優れた画面構成力と自由な創造性が見事に調和しています。





印象派の巨匠「モネ特集」一覧

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